良い意味で一回死んだ話

熱が冷めないうちに文字として何処かに焼き付けておく必要がある。鉄は熱いうちに打てとはよく言ったものだ。

 

長年、いや、ここ数年か、コンプレックスであったのはコミュニケーションにおける基本の欠如。「人と話すのが苦手」という問題が今の今になって特に重大な欠陥として感じられた。全くという訳ではなく、特に初対面、面識があっても関わりが浅い人間に対してはそうだ。ある程度時間を共有していないとダメになる。

 

高校生の時、友人に「話す時目を合わせてくれない。」と言われた。3年目にしてだ。そのことは全く自分の意識の外側にあった。正直驚いた。「感情が表に出なさすぎて何を考えているのか分からない」とも何度も言われてきた台詞だ。つまりそういうことで、感情が読みにくい、目の合わない人間なのだ。そんなのが上手くコミュニケーションを取れるはずがない。当たり前だ。ポーカーフェイスなんて単語はさっさとクソくらえよ。

 

小学生にまで遡れば、全くそういうことはない。どちらかと言えば、というか確実に快活な人間、少年だったと記憶している。

問題なのはその数年後、中学生の時期で、狭いコミュニティ内で様々な人間の感情を推し量り、上手く立ち回ることに終始し始めた。正誤より場のノリ、都合の良さに重きが置かれ、暴力的な空気がある意味で正義だった。正に世紀末。そんな中でカースト*1の上から下まで一様に関係を持ってきた自分を褒めたい。しかしそれはよく見るとだいぶ薄っぺらい。嘘だ。合わせて、教師と悪友それぞれからの期待の間で板挟みにあう。一番ダサい。

その時に感情を、意思を出さなければ万事上手いこといくというのを覚えた。自分が必要以上に疲弊しないのだ。今の居場所を守ることもできるのだ。思春期の負の遺産である。

今思えば、自分の趣味や嗜好に共感を求めたことがあまりなかった。そういう人があまりいなかった。全く中身が無い人間であったように思える。限られた人間だけが本当の自分を知っていた。

どうしようもない状況で、サブカルチャーへ傾倒しようかとも思った。つまりオタクと呼ばれる存在がとても羨ましかった。本当に失礼な話だが、人間関係で悩んでなさそうだと思ったのだ。当時の自分からしたら。しかし、無理やり摂取したところで元々興味が無いものはやはり無理で、早めに断念することとなった。斯くして結局、同じ状況に身を置き3年間を終えた。今項で足掻くとすれば、友人の為に書くとすれば、未だにこの時代にできた大事な友人は一応居るとだけ付け足しておく。

 

話を元に戻すと、こうして形成されたコンプレックスをなんとなく意識してきたが特に改善しないままでいた自分へ危機が訪れた、ということである。詳しく言えば、このような人間は「デザイナーへの適性が薄い」という事実を突きつけられ、僅かしか残っていない学生生活中に早急に「自分を変える」ということが要求されたのだ。このような微かな自覚に対して、好きな服を着て精神を武装するということを行ってきたが、ついに限界が来たようだ。分かる人間にはあっさりと見破られてしまった。

そして古い価値観を持ったまま、その場で座っていた自分は1回死んだ。

 

 

*1:スクールカーストという概念が大嫌いだが意味の伝達の為に書く